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テクノロジーは「天才」を量産可能にする

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 「人工知能が人間の一部を代替する」
 こうした議論において必ず出てくるのが「人間の感情の部分は数値化できない」という主張です。しかし、近年のテクノロジーの進化は、人間の感情の部分ですら、一気に解析を進めつつあります。人の感情を動かすことが重視されるコンテンツ制作の部分でも、その影響はすでに現れ始めています。


 これまで映画やマンガやゲームなどのエンターテインメイント産業では、一部の天才クリエイターのひらめきに依存してヒットをつくってきました。しかし、インターネットとそこから発生する膨大なユーザーのデータは、従来と真逆のアプローチを可能にしつつあります。

 テレビゲームの時代は、テレビに家庭用ゲーム機をつないでプレイするのが一般的でした。しかし、テレビにつながれているだけではどれだけ多くのユーザーがプレイしても、どこをおもしろいと感じて、どこをつまらないと感じているかのフィードバックを吸い上げることはできません。フィードバックを得る手段はせいぜい、発売前にテストプレイで何度も遊んでもらい、感触が良さそうかどうかを確かめるくらいです。出たとこ勝負で売上がわかる、ハイリスクなビジネスでした。

一方、通信型のゲームでは、インターネットを通じてユーザーの情報を吸い上げられるため、「おもしろい」「つまらない」などの「感情」を、科学的に分析することが可能になりました。多数のユーザーが競争したり協力したりしながら進行するタイプのゲームは、ユーザーがどの場面でゲームをやめてしまい、どのような場面で最も白熱するかのデータが、ログとして蓄積されていきます。これらのデータより見えてくるパターンから、発売後もリアルタイムでシナリオに変更を加え、ユーザーを飽きさせないように改善していくことが可能になりました。
 つまり、パッケージとして販売されるソフトと違い、これらのゲームに完成系はありません。そのかわり、誰も遊ぶ人がいなくなるとその時点でゲームは「終了」になります。ネットは、ゲーム制作のルールそのものをまったく書き換えてしまいました。
 まったく同じことはゲームだけではなく、映画やマンガなどの世界においても適用できるでしょう。日本でもDeNA社が提供するマンガボックスなど、無料マンガアプリが急速に普及しつつあります。マンガ家は自分の作品のどの部分がユーザーに最も刺さっているかをデータとして分析することが可能になり、そのパターンはすべて蓄積されていきます。将来的にはデータからユーザーの属性を分析し、それぞれに適した違う結末が用意されているマンガだって成立するかもしれません。
 すでにディズニーでは、ユーザーの「感動のパターン」がノウハウとして蓄積されており、そのフレームワークに沿って映画が作られているいう話を、エンターテインメント業界に勤める方からも聞いたことがあります。実際、少年誌の人気マンガの登場キャラクターやストーリー展開が驚くほど似ていると感じた方は少なくないでしょう。
 今後はこうした形式知がデータという形でより一般化していくことが予想されます。

 こういったある種の「勝ちパターン」は、その業界でも限られた人たちだけが知っている、いわば「秘伝のソース」のようなものでした。誰にでも習得できるようなものではないからこそ、天才が存在したのです。しかし、データが人の「感情」すらパターンとして認識するようになると、誰でもそのパターンにアクセスすることが可能になり、天才の希少性は失われます。逆に、今まで王道だと思われていた手法が、データから分析してみると実は間違っていたという場面にも出くわすでしょう。

 「楽しい」「おもしろい」「悲しい」などの感情は、これまで、複雑で理解しがたい、ブラックボックスとして扱われていました。これからコンテンツがデジタル化され、読者の傾向がデータとして可視化できるようになると、感情は分析可能なものへと変わっていきます。業界全体でも、一部の天才クリエイターに依存した産業から、科学的に紐解くことが可能な再現性の高い産業に変わっていくことが予想されます。まるで、「秘伝のソース」の成分が解析され、量産されるように。
 「感情」という最も数値化しづらいと思われている分野ですら、テクノロジーはロジックを構築しはじめているのです。